コンサルタント紹介

岡田 毅 Takeshi Okada ディレクターコンサルタント

「(カスタマに対する)定点観測の実施」「マーケットインに徹する(設計者が自己中心の設計をしてはならない)」ことを最優先にして拡販に繋げます。
 

経歴

1986年4月~2000年12月 松下電器産業株式会社
1986年4月~1989年3月 精機事業部にて電子部品実装装置(チップマウンタ)の機構開発設計を行っていた
1988年~ 属する部署が変わり回路実装研究所となったが業務は変わらず。3名の後輩とチームになって機構設計を実施
1989年7月 プロトタイプの設備が出来上がったので量産工場への移管と共に山梨県甲府工場(精機事業部に復帰)へ転勤
1991年8月までにすべての審査(DR)を終え量産機の仕込みに入り国内外同時発売となった
1991年8月に欧州の販社に出向。技術営業と営業部(欧州全域カバー)統括次長として自分の開発した設備を欧州のカスタマに売り込みに駆けずり回った。南欧は代理店と提携、残りの地域は各々の国の販社で現地人をマネージしながら販売拡販を図った。約40名の現地人をマネジメント
同時に20名程度のサービスマンを面接し採用
1996年9月出向解除となる。5年間で主に携帯カスタマの増産に起因したチップマウンタの需要を先取りして、売り上げは駐在初年度の60億円から200億円強まで伸ばし、欧州でのチップマウンタの納入シェアも1位に押し上げた
1996年9月から2000年12月まで回路実装研究所内の次世代マウンタの開発のプロダクトマネージャーを拝命され4年間で2台の新商品の開発をマネジメントした。約50名の技術者をマネジメント
2000年12月~2012年4月 ソニー株式会社の実装機事業部にヘッドハウンティング
2000年12月~2001年 商品技術課課長として新商品開発に取り組むも2001年6月に事業撤退、自分の行く先は自らで決めなさいという事態に。松下電器産業株式会社時代に愛知県の幸田テックに自分が開発リーダーだった時期に80余台の設備を納入していたが、基板実装不良率が高いということで9月から実装不良改善プロジェクトリーダーとしてソニーEMCS幸田テックに単身赴任。
~2005年3月までで不良率を6シグマ内に抑えプロジェクトは発展的解消。8名のマネジメント
2005年4月~2007年3月 幸田テック生産管理課課長を拝命。主に物流倉庫の自動化、原価低減に取り組む。8名のマネジメントを行う
2007年4月~2012年4月 幸田テック工場長を拝命。実装工場と組立工場の2つを管掌部品の内製化、組み立てラインの自動化に取り組む。減収増益を達成する。また中国広東工場に複数のラインの移設を行う。部下350名をマネジメントする
2012年5月~2016年1月 実母の介護が必要となりソニー株式会社を希望退職。介護に専念する
2016年1月~2019年3月 株式会社タケエイに入社し直ちに産業廃棄物処理設備の開発製造販売を行っていた富士車輌株式会社(滋賀県守山市)に出向となり生産技術本部取締役本部長を拝命。
ドイツのSTADLER社等との提携を含め事業拡大を図る。
約70名のマネジメントを行う。産業廃棄物処理設備の開製販と共に特殊車輌(タンクローリー車等)の開販製も行い、溶接の自動化を行った。また半年先の工程管理図を作成し、それに基づき生産活動を実施した
2019年1月 富士車輌株式会社からタケエイに出向解除。3月に希望退職
2019年3月~2020年4月 長野県のミマキエンジニアリング株式会社に入社。取締役技術本部付拝命。グループ会社のアルファデザイン株式会社にて技術統括として電子部品挿入機の開発を統括、部下10名のマネジメントを行うと共にミマキ本社とのコラボで実装基板防湿材塗布機の製作プロジトマネージャーとして推進。約30名のマネジメント
2020年4月 東京に残した家族の介護が必要になり希望退職
2021年7月 三宝化成工業株式会社東京支店開発課次長に入社。主に食品自動包装ラインの設計(CAD)を実施。開発課は3名

コンサルティング分野

主に製造部門の工程改善関係

コンサルティング実績

品質保証体制の課題抽出と計画立案、等

資格

英検2級、TOEIC730 、高等学校数学教諭免許